ここ十数年来リバーカヤックをしている。
初めはファルトボートでツーリングカヌーから始まり、今現在はプレイボートに至っている。
十数年やっているといっても別段上手いわけでなく、ずっと中級止まりだ。以前にカヤックのフリースタイル大会にも参加したことがあるのだが、燦々(さんさん)たる結果だった。
もともとあがり性なので、普段あまり上手く出来ないことがもっとだめになる。
まあそんなこんなでも十数年やっている訳だから川へ行くと、必ずといっていいほど顔見知りに出会う。
こっちがまったく覚えていないにもかかわらず、「カワゾウさんですね~。」なんて気さくに声をかけられることもあった。(本当に相手に対して失礼な話だった)しかしそんな時でも、私はそのフォローはちゃんとしてきたつもりである。
もともとおせっかいな性分なので、ついつい調子に乗っていろいろとカヤックの事や川の事を教えてしまう。(教えられるほど上手くないのだが、カヤックやダウンリバーのことではいろいろと場数を踏んでいるので、なんとなく様になっていた。) 話は変わるが、私がカヤックを始めた頃は現在のようにあまりカヤックの情報がなく、人づてに聞いた情報を頼りによく川へ出かけていた。もちろん腕前のほうもまだまだ半人前???だったので、行くたんびに、大体が沈(カヤックで引っくり返ること)し、川に流され、酷い目にあうことが多かった。
そんな時、一人のカヤッカーが流されている私に的確な指示を与えてくれて、助けてくれた。もちろん岸にあがり、そのカヤッカーにお礼を言うと、「今度はあなたが、今よりももっと上手くなって、後から始める人を助けてやってください。
私もそうされてきました。」と実にサラリと言われた。
後でその言葉にすごく感動してしまった。
しかしそれからそのカヤッカーを川で見かけることはもうなかった。
カヤックを辞めてしまったのか。どこかへ引越してしまったのか。とにかくものすごく感動したことだけは覚えている。夏の夕暮れのなかを去っていく、その人の後ろ姿を今でもぼくははっきり覚えている。
だからという訳ではないが、川でカヤックを通じて知り合った人には親切にしてきたし、またカヤッカー同士でなんていうか、そう、ある種に連帯感のようなものが存在していると思う。(もちろんカヌー、カヤックをしている人全員ではないが、例えばカヤックを車に乗せて走っていたとしよう。前方から、別の車がこれまたカヤックを乗せて走ってくる。そしてすれ違いざまに、その車を運転しているカヤッカーと思われる人と目が合い「少しニャッ」なんてことなどが、その現れではないだろうか。そしてお互い車が離れていくとき、サイドウィンドウ越しに見送る・・・。
それは見栄や外聞なんてものではなく、先ほど述べた「ある種の連帯感」のなせる業なのではなかろうか。スポットで遊んでいる時も誰かが沈して流れて行くと、そこでプレイしているカヤッカーみんなが一斉にレスキューに向かう。
困ったときや、助けが必要なときでも、そこにいるカヤッカー達は親身になって相談に乗ってくれる。
都会では考えられない連帯感がそこには確実に存在している。自然の中では、人は素直になれるのかもしれない。そしてそれは実にシンプルで物事の価値観にとらわれない、人間味あふれる生き方なのかもしれない。
僕の中でカヤッカーとは、そういう人種というイメージが今でも根強く残っている。是非とも私の息子達が大きくなったら一緒にカヤックをしようと思う。