古墳の所在地 | 大阪府茨木市大字安威 |
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古墳の形状 | 前方後円墳・円墳 |
規模 | 82m |
築造年代 | 古墳前期末~中期 |
副葬品 | 鏡「斜縁半肉刻一仙五獣帯鏡」、「平縁半肉刻四獣鏡」勾玉、管玉、小玉、鉄鎌、鉄斧、刀子、やりがんな等 |
被葬者 | 中臣藍連一族と関係がある人物(推定) |
阪急電車茨木市で下車してバスターミナルより「茨木サニータウン」行きのバスに乗車。
終点茨木サニータウンで下車すると山の手の閑静な住宅街である。
安威古墳群は大小様々な約20基の古墳密集地帯で知られているが、実際インターネットや史料などで調べてみてもほとんどそれらの古墳の所在がわからず、とりあえずよく知られている北陵中学校の敷地内にある「安威1号墳」と道路を隔てて南西側にある「安威0号墳」に行ってみた。
「安威1号墳」は北陵中学校の敷地内にあり、古墳の周囲をフェンスで覆われているため墳丘に立ち入るどころか古墳の規模や形状を確認することも全くできなかった。
史料によるとこの古墳は全長約45m、後円部径約30mの小型の前方後円墳で築造年代は古墳前期末から中期となっており、北摂山地より突き出た標高約87mの尾根の最も高い位置に築造されている。
墳丘部には鉢巻き状の三段からなる葺石が廻らされており、古墳北側には小石が敷き並べられ排水施設も備えていたようである。
三島古墳群のなかで安威川と茨木川に挟まれたこの地域には将軍山古墳(全長約107m、後円部径約70m、前
方部端幅約44m、築造年代 4世紀後半、前方後円墳)があり、これらの古墳との系譜が伺えるが定かではない。
安威川と茨木川に挟まれた地域の古墳群は5世紀前半から6世紀前半までの約100年間古墳の築造が途絶えていることも興味深い。
例えば東隣の芥川・女瀬川に挟まれた地域(土室)では奈佐原丘陵部に継続的に古墳が築造されており、築
造年代の推移や古墳の築造場所、そしてその規模なども年度別に特色があり、その周辺を治めていた首長の
系譜ということが伺えるが、この安威古墳群に関してはよくわからない。
副葬品としては車輪石、石釧、鍬形石が出土したようである。
「安威0号墳」は「安威1号墳」から西に少し行ったところにあり、こちらは墳丘の間近まで行くことができる。
見た感じゴミ置き場のようであり、古墳特有の盛り土なども密生した雑草で埋もれてしまっている。
ただ何となくではあるが円墳のような形が見受けられる。
古墳は径約15m、高さ約2mの円墳とされており、古墳の築造年代は「1号墳」と同様古墳前期末から中期頃。
現状は全く古墳の形状や規模を確認することはできなかった。
副葬品は鏡「斜縁半肉刻一仙五獣帯鏡」、「平縁半肉刻四獣鏡」勾玉、管玉、小玉、鉄鎌、鉄斧、刀子、やりがんな等が出土している。
被葬者は「安威0号墳」、「安威1号墳」ともに中臣藍連一族と関係がある人物とされているようだが、全く定かではない。
「安威1号墳」「安威0号墳」ともに茨木市の指定文化財に指定されている。
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阪急電車茨木市下車。 バスターミナルより「茨木サニータウン」行きのバスに乗車 終点「茨木サニータウン」下車。 |