古墳の所在地 | 大阪府高槻市安満御所の町(高槻市公園墓地内) |
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古墳の形状 | 長方形墳 |
規模 | 全長約20m |
築造年代 | 古墳時代前期(3世紀後半) |
副葬品 | 青銅鏡5面、ガラス小玉1600個余り、 鉄製品(鉄刀・鉄斧)など |
被葬者 | 安満遺跡を拠点とするこの辺りに勢力を持っていた王(推定) |
JR高槻駅南口から階段を降り、市バス上成合・川久保行きのバスに乗車し、磐手橋下車すると目の前に小高い山がある。安満山(桧尾山)である。
この山のほぼ全域が現在高槻市公園墓地になっており、安満宮山古墳はこの高槻市公園墓地の敷地内にある。
高槻市公園墓地に通じる山道(車道)を登っていくとかなりの傾斜で足に負担がかかる。さらに登っていくと山のほほ中腹部に標識があった。安満宮山古墳である。
安満宮山古墳は古墳時代前期(3世紀後半)の築造で三島古墳群の中では最古の築造である。
その形状も長方形墳と他の古墳とは一線を画しており、副葬品などにおいても「青銅鏡5面、ガラス小玉1600個余り、 鉄製品(鉄刀・鉄斧)」といったかなりものが出土している。
この古墳の被葬者は大和中央政権との深い関わりがあったことがうかがえる。
安満山(桧尾山)にはこの古墳を含め、小規模な古墳が約50基が分布しているが、公園墓地の造成に伴い11基の古墳の発掘調査がおこなわれたようで、その多くは横穴式石室を備えたもので、6世紀後半から7世紀に築造されたものと思われる。
この古墳が安満山(桧尾山)に築造されていることは先に述べたが、実際に訪れてみると、の古墳の展望性の素晴らしさに驚ろかされた。大阪平野のほぼ全域を見渡すことができ、展望性の素晴らしさは三島古墳群の中では阿武山古墳に匹敵するものがある。
墳坑はガラスケースで厳重に覆われており、墳坑を保護している。
墳坑内には、発掘当時を再現しており、数枚のレプリカの銅鏡が置かれ、被葬者の遺体が置かれていたところにその形をかたどった白い線で引かれている。
ガラス越しに見るとそこに葬られていた人物は小柄の人物のようである。
この墳坑の保存状態はきわめて良好である。
4世紀頃に入ると桧尾川以東のこの地域の勢力は衰退していくことになる。というのもこの古墳以降は5世紀の初頭まで、この地域に古墳が築造されなかったようで、明らかに古墳築造において空白の時期があるのが興味深く、三島古墳群の中央部に位置する奈佐原丘陵地域に見られるような古墳群の継続的、段階的な古墳の築造が見られない。
そのとき何があったのか。首長の血脈が途絶えたのだろうか。或いは利便性を求めて他の地域に移ったのだろうか。今となっては知る術もないが、何らかの事情があったことだけは間違いない事実である。
西隣の桧尾川と芥川に挟まれた天神山の丘陵部の地域には5世紀の初頭から継続的に首長の系譜と思われる古墳が継続的・段階的に築造されている。
安満宮山古墳は築造当時の姿に復元・整備され、「青龍三年の丘」として公開されている。
副葬品などは国の重要文化財に指定されている。
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JR高槻駅 南口から 市バス上成合・川久保行きのバス乗車 磐手橋下車 高槻市後援墓地内 徒歩30分。 |