古墳の所在地 | 大阪府高槻市南平台3丁目 |
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古墳の形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長120m 後円部 直径70m |
築造年代 | 古墳時代前期(3世紀後半) |
副葬品 | 壷形埴輪の破片など |
被葬者 | この地域を治めていた豪族(推定) |
岡本山古墳は芥川、女瀬川に挟まれた奈佐原丘陵に位置し、眼下の富田台地を一望できる位置にある。
築造年代は3世紀後半に築造され三島古墳群の中では安満宮山古墳に次いで古い古墳である。
古墳の概要は奈佐原丘陵の中腹部に築かれた直径120mの前方後円墳で、その規模も大王墓である今城塚古墳を除き芥川、女瀬川に挟まれた奈佐原丘陵に位置する古墳群の中では最大級であり、三島の王の墓と考えられいるようだ。
副葬品は壷形埴輪の破片らしきものが出土している。
この古墳が築かれた3世紀から5世紀かけて巨大な前方後円墳が日本各地で数多く築造された時期である。
名神高速道路の高架橋から望むとすぐ隣にも同じような小山が目につく、弁天山古墳である。
築造年代が4世紀初期頃の築造となっており、位置的に岡本山古墳と何らかの関係が伺える。
岡本山古墳から弁天山古墳、弁天山C1号墳、郡家車塚古墳、前塚古墳と築造年代が継続的に築かれており、首長の系譜があったことは確かなことのように思われる。
最初の岡本山古墳は奈佐原丘陵部の比較的高地に築かれ、次の弁天山古墳は少し上がったところに、弁天山C1号墳はさらに上、郡家車塚古墳の代になってようやく平野部に降りてくる。前塚古墳はほぼ平野部に築かれている。
6世紀に入ると大きな古墳は築かれなくなる。
奈佐原丘陵部に展開した古墳郡の首長の系譜は滅んだわけではなく続いていたのだと思う。
実際に前塚古墳から岡本山古墳まで訪ね歩いてみて、そのことを強く感じた。