古墳の所在地 | 大阪府高槻市上土室1丁目1-5 |
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古墳の形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 | 直径56m、高さ7m |
築造年代 | 古墳時代中期(5世紀) |
副葬品 | 倭製鏡片、弓、鉄刀、など |
被葬者 | この地域を治めていた豪族(推定) |
土室(はむろ)のバス停から北へ向かって歩いていくと名神高速道路の高架がある。その高架をくぐり、またさらに進んでいくと右手に田園地帯が広がっている。
その一角に樹木が生い茂った小山がぽつんとある。
これが番山古墳である。
右側の道路脇には番山古墳を示す掲示板があり、古墳の前には番山古墳と彫られた石柱が立っている。
古墳の南側から東側にかけてかなり大きな溜め池があり、一見すると古墳を取り囲む周濠の名残のように見えるが実際のところはよくわからない。
古墳の長さ56m、墳丘の高さは7m。前塚古墳と同じく帆立貝形古墳である。埴輪などの出土物から推定してこの古墳は5世紀中頃の築造とされている。
溜め池の反対側は水田に囲まれており、農繁期に訪れるとまるで水田の中に浮いているように見える。
出土物は倭製鏡片、弓、鉄刀、など。すぐ近くには新池遺跡(ハニワ公園)があり、古墳築造必要な埴輪の運搬は容易だったろう。ちなみにこの古墳と前塚古墳は製造方法などで一致する点が多く、何らかの関係があったものと思われているようだ。
上空からの写真を見ると、帆立貝形古墳の特徴である前方部の突起が確認できる。
同じ帆立貝形古墳の前塚古墳は前方部分が完全に破壊されており、確認できない。
古墳の東側にある池は当然最近のものだろうが、もしかすると周濠の名残なのではないのだろうか。
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JR東海道線 摂津富田駅下車 高槻市営バス 公団阿武山・日赤 日赤・公団阿武山 大阪薬大前西塚原 行き 土室(はむろ)」下車 |